学生時代から漠然と抱いていた「ようちえんを創りたい」という夢がありました。漠然とした想いを胸に、保育士として働きながら子ども学、自然、建築、アート、哲学などの学びを重ねていくうちに夢への想いも高まってきて、その上都会のスピードや過剰な刺激についていけなくなるにつれ、いつしか田舎への移住を考え始めることになりました。
初めは、子どもの頃から大好きだった八ヶ岳周辺で考えていましたが、保育士の収入ではなかなか見合う場所がなく、移住後にいきなりようちえんを開園できる訳でもなく、安定した仕事に就けるのか不安なまま、いきなり土地を買ってローンを背負い、建物ができるまでの間賃貸アパートを借り、子育ても、ようちえん開園の準備もとなると現実的ではありませんでした。
その間も悶々と東京で保育士として働き続け、どうしたら移住とようちえん開園がうまくいくのかと思案する日々でした。その間、もがきながらの転職、結婚。
妻の実家がたまたま長野県飯山市だったことが転機でした。飯山市にちょくちょく通ううちに北信州の四季の移ろい、自然の豊かさに惹かれていきました。「ここなら!」という想いでした。
それまで学んできた保育の知識経験をもとに、「納得のいく子育てをしたい!」と長野県移住を決意。夫婦の夢、理想のようちえんを創りたいという想いが高まってきたことも相まってはじめの一歩を踏み切ることになりました。
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